vol.37「君たちはどう生きるか」から見える20代の若者に伝えたいフレーズ
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どの店頭に行ってもこの表紙を今でもよく見る。漫画と文章(手紙)が交互に展開する新しい書籍の世界を見たように思う。読書が苦手な人でもこの構成は受け入れられるかもしれない。
主人公である中学2年生の「コペル君」が「正義とは何か」「勇気とは何か?」「人生とは何か?」「人間の立派さとは何か?」を考える心の葛藤を描いた作品だ。
いじめられている友だちを目にしながらも立ち向かう勇気がなく、自分自身に後悔し、悩み苦しむ様は青春模様そのもの。いつになっても、デジタル社会になっても、こういう人間臭い悩みは尽きないのであろうと考えさせられる。
その「コペル君」に相対するのが、母の実弟で、大学を出たばかりの「おじさん」。彼が「コペル君」に対して投げかける手紙が本著においては文書形式になっていて非常に深い話が展開される。抜粋。
肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ること
人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし人間は言葉というものを持っている。だから、自分の経験を人に伝えることもできるし、人の経験を聞いて知ることもできる
自分がどうありたいのか、何を軸にして生きて行くのか、そんな投げかけのように見える。ここでいう言葉を持っているというメッセージは非常に深いものを感じる。言葉とは相手に投げかけると対話になる。コミュニケーションの基本は対話であるし、空間を共有することだと思う。
使い尽くされた表現だが、相手の立場に立って唐突感を排除しながら言葉を選び口にする。いかにこの行為が尊く難しいことであるか、日々実感している。言葉はその人を表すし、相手を感動させるが、時には憤りを生むこともあるので難しく、大切なのであろう。
ありがとうの語源、解説に深い納得間!抜粋
自分の受けている幸せが、滅多にあることじゃあないと思えばこそ、我々は、それに感謝する気持ちになる。それで、「ありがたい」という言葉が、「感謝すべきことだ」という意味になり、「ありがとう」といえば、お礼の心持ちを表すことになった
物事を比較することを例えた秀逸な表現がある。
王位を奪われた国王以外に、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう
これもメンタルコントロールの一つだと思う。現代社会はこれまで人類ができなかったことが同時多発的にできるようになった。良くはないが、移動しながら、音楽を聴きながら、食事をすることだってできる。だからこそ、僕らはそれの一つでもできなければストレスになって苛立つ。だからこそ、今の時代に感謝して、できなくても平常心を保とうという気概が必要なんだと思う。けなすより、許す勇気が人生には間違いなく必要だ。
体の痛みに対する解釈も秀逸だ。見にしみる。抜粋
悲しいことや、辛いことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういう者であるか、ということを知る
身体に痛みを感じたり、苦しくなったりするのは、故障ができたからだけれど、逆に、僕たちがそれに気づくのは、苦痛のおかげなのだ
心に感じる苦しみや辛さは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕らえることができる
病気をして健康の有難さがわかると良くいうが、どれと同時に人間とは、動物とは永遠に生きながらえないと分かっているだけに、今を大切に生き抜く必要があると思う。
日中戦争の最中に書かれた本著は、「戦争とは何か」「生きるとは何か」という若者の葛藤を描いていると他の書評で読んだ。その時代背景が、成熟しきった現代社会とオーバーラップするからこそ、現代人も夢中になって読んでいるんだと思う。
物に埋め尽くされ100年生きる人類がもうそこまで来ている。あらゆる常識が覆され、進化して行くが、人間はどうあるべきなのか、幸せとは何なのか、といった根源的な問いかけはこれからも続いて行くのであろうと思った。
まとめ
- けなすより、許す勇気が人生には間違いなく必要である
- コミュニケーションの基本は対話であるし、空間を共有すること
- 悲しいことや、辛いことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういう者であるか、ということを知る