vol.22「サイロ・エフェクト」から見える20代の若者に伝えたいフレーズ
サイロとは本著風に訳すと「タコツボ」という意味として捉えている。日本の組織を揶揄する概念として多用されており、閉塞的な環境を指すことが多い。
日本ではSONY、海外ではUBSを例に挙げて、いかにサイロ化が組織にとってよくないものであるかを語っている書籍である。
訳が自分にとってはとっつきにくく、あまりスピーディにページを繰っていくことができなかったが、組織がどうあるべきかをグローバルで考えるには読んでおいて損のない書籍だと思う。
著者はこの「サイロ」を徹底的にダメだと言っているわけではない。「スペシャリスト」「サブカルチャー」と近い意味で用いられてもおり、それは必要だとも言っている。要は程度の問題だと語っている。抜粋。
われわれはひどく複雑な世界に生きており、この複雑さに対処するには何らかの「体系化」が必要だ。しかもデータ量、組織の規模、技術の複雑性が増すなか、その必要性は高まるばかりだ
複雑な世界にはスペシャリストや専門集団が必要だが、それと同時に統合的な、柔軟な視点で世界を見る必要もある。サイロを克服するには、この両極の間の細い道をうまく渡っていかなければならない
「分類」という表現も多用されている。 複雑化を続ける現代社会において、サイロは必要なものの、この「分類」方法を誤ってはいけないと警鐘を鳴らしている。
仕事に対するスタンスの一文が響いた。国こそ違え、やはり必要なのは「実行力」「主体性」だと痛感する。抜粋。
主体的に仕事を選ぶと、パフォーマンスも高まる。情熱は個人の力を何倍にも高める、何にも代えがたい要素だ
本著で一つのクライマックスと言えるのはソニーのサイロについての記述だ。知り合い伝いで当時のSONYの役員に聞いたところ、かなり異なる表記もあるということだが、それを差し引いてもいかに当時のSONYはすごい会社であり、それが故に道を踏み外したのかと考えさせられる。
信じられないことだが、ソニーは実際、1999年の後半に新しいデジタル版ウォークマンを社内のそれぞれ異なる部門から2つの新製品を発表していたということだ。同じ組織ながら部署間の交流はなく、マーケットに対して複数の筐体を提示した。この辺りからSONYは狂い始め、Appleに後塵を拝することになる。
日本人からするとここまでSONYを叩かれると嫌な気持ちになるかと思うので、根っからのSONYファンはこの箇所は読まない方が良いかもしれない。
本著でもっとも考えさせられたのがアメリカの病院であるクリーブランド・クリニックの例だ。オバマ大統領のスピーチでも取り上げられたこの病院が行ったのは「専門の廃止」だ。
考えてみれば我々は「外科」「内科」「耳鼻科」「歯科」など、解決策を有してくれるであろう組織にアテをつけてから行動している。でも、頭が痛いのは、神経なのか、歯痛からくるものなのか、はたまたストレスからなのかわからない。でも病院に行くとなると、どこに行くべきか決めないといけない状況が起きている。
つまり病院という組織は実は病院側の都合で形成されているということであり、そこに意を唱え、医療を逆から見たのがクリーブランド・クリニックだったということだ。抜糸。
従来型のサイロを壊したことで医療に対する総合的なアプローチが浸透しただけでなく、自分たちがさらにイノベーティブになったと感じている
本件をメインとしてつくづく実感することは物事の当たり前の配置をひっくり返すことで、見る人に新たな視点を与えるということである。常識を常識として捉えず俯瞰で見る、ユーザになりきって見ることが、やはりイノベーションの出発点だと思う。
最後の著者の投げかけが心に響く。抜粋。
21世紀の複雑な世界に生きるわれわれは、みな厄介な課題を突きつけられていると言える。心理的、構造的サイロにコントロールされるのか、あるいは自らサイロをコントロールするのか。どちらを選ぶかは自分次第である
まとめ
- 仕事をする上で欠かせない要素は「実行力」「主体性」である
- 病院の専門化は病院側の都合で形成されており、今後再編が予想される
- 常識を常識として捉えず第三者視点で見ることがイノベーションの出発点である